400年の時をこえて25度の火星、三役そろい踏みです。こういうことが起きるのが魔界チャートたるゆえんです。
織田信長はユリウス暦1534年6月23日生まれです。生まれ時刻は不明です。その誕生図は、ここにあります。
Astrology and natal chart of Oda Nobunaga, born on 1534/06/23 (astrotheme.com)
ヘッドの真値はししの7度です。この7度という度数は覚えておく価値があります。
このチャートを第六天魔王のチャートだと思えばそう読めないこともありません。太陽と水星はアンティションの日です。しかし信長の誕生図としては物足りません。唯一のドミサイルルーラが水星でふたごサインなのは意外なのか信長らしいのか、微妙です。とはいえ以前当ブログで指摘したようにふたごは事件事故のサインであり、残酷なサインでもあります。本能寺の変は日本史上最大級の“事件”です。
唯一のドミサイルルーラである水星は火星に*でアプライしています。この点は信長の生涯と符合します。火星はししサインにあり、ししは王(太陽)が管理するサインであり、天下布武のサインです。ししのルーラである太陽は、ししを見ていませんから、この天下布武は成功しない可能性が高い。
しかしながらこの誕生図は物足らないので、1534年の京都春分図を調べてみると次のような特徴があることがわかります。
ASCの度数はおとめの29度となっていますけれど実際は恐らく28度です。どちらでも大勢に影響しません。
1534年京都春分図(信長が誕生したのはこの年の6月)
これは昼チャートで、最悪天体の火星ふたご25度がMCふたごに一番近い。このチャートで信長を象徴させるとすれば、その火星ふたごか、そのふたごを管理する水星うお5度でしょう。若き(水星)日の信長のニックネイムはうつけです。水星うおはフォールですから信長に似つかわしい。
この火星はセクト的には最悪状態です。弱くはありませんけれど凶意が強い。信長の生年月日はふたごに特徴がある生年月日でした。t月みずがめは、その火星ふたごに△でアプライしています。月も火星も反対のセクト天体ですから△とはいえ凶意をはらんでいます。
次に本能寺の変の年の1582年の京都春分図を調べます。生と死は、占星術的には最大の課題です。必ず特徴が出ます。
昼チャートです。恐らくは死の軸であるDSCさそりのルーラは火星みずがめ25度です。この火星はセクト的には最悪状態です。MC、木星(死の王)、天王星そして火星がみずがめサイン第10ハウスです。政変を強く示唆します。それに、もともとみずがめは“死”のサインです。
信長の生年月日は水星ふたごで、これがその生年月日の最大公約数的特徴でした。その水星は、この年の春分図ではコンバストされています。しかもこのコンバストは裏切りの第12ハウスで起きています。
1534年の春分図と2022年の部分日食図は信長の出生図的に機能します。はてして、武人を示す火星はともにふたごサインの25度です。
1582年は信長の没年ですから、これは誕生図ではなく“死亡図”です。火星は死のサインであるみずがめにいます。t月てんびん(バイアコンバスタ!)は、死の王である木星から△でセパレイトし、△で火星にアプライします。t月は第3ハウスルーラですから旅行中の死を示唆します。
水星がコンバストされており、月はバイアコンバスタですから炎上を強く示唆します。
1534年春分図の金星おうし15度(9ハウス)、ヘッドしし15度(12ハウス)
1582年春分図の金星おうし15度(1ハウス)、ヘッドやぎ15度(9ハウス)
これより三役そろい踏み。
1534年春分図の火星ふたご25度
1582年春分図の火星みずがめ25度
2022年10月22日の部分日食図の火星ふたご25度
ヘッドと同じ度数は宿命的事件を示唆します。
本能寺の変直前の新月はかに7度です。信長の生年月日のヘッドはしし7度でした。京都でこの新月図を立てると、ASCはさそりで、裏切りの第12ハウスはてんびん、死の軸でもあるDSCはおうしです。となりますと、気になる金星は、おうし25度です。上記の死亡図の火星とスクエアとなります。火星の三役そろい踏みで土俵が整ったところに、この金星がダメ押しとなりました。こうなると人間の力で止めることはもはやできません。
end