伝統的占星術

☆伝統的占星術
 当店ピカトリクスの看板は正統占星術です。これは古代から21世紀までの占星術を含みます。しかし、その主力商品は、17世紀まで実践されていた伝統的占星術です。そのなかでも第1にヘレニスティック占星術(古典的ギリシア占星術)、第2に8世紀後半と9世紀の中世イスラム占星術を推しています。中世イスラム占星術はサーサーン朝ペルシアの影響抜きには語れません。8世紀後半&9世紀の主要占星術師の多くはペルシア系(ユダヤ人?)です。
 本来であれば、占星術のふるさと、源泉中の源泉であるヘレニスティック占星術だけに特化したいのですが、そうできない事情があります。

☆虐殺
 ヒュパテイアの虐殺(415年)に象徴されるように古代(の占星術)は虐殺されてしまったからです。古典古代発祥の占星術東ローマ帝国内では事実上絶滅しました。滅んだと思ったらサーサーン朝ペルシアで生きていた。このサーサーン朝も651年に滅亡します。中世イスラムの登場です。今度こそ万事休す滅亡かと思いきや、約100年後に不死鳥のようによみがえります。このよみがえった占星術が、西洋占星術の直接的ネタ元です。多くのアラビア語占星術文献が12世紀以降にラテン語に翻訳されました。
 余談ながら中世ラテン欧州にはギリシア語を読める学者はほとんどいなかったようです。2、3人しかいなかった?、古代は虐殺されたようものですから。結果、ギリシア語の古典文献もなかなか手に入らない。ダンテ(1265-1321)はホメーロスを読んでいません。しかたなく?ウェルギリウスを案内役にしました。

☆伝統的占星術にとってのクラシック作品
 そういう歴史的経緯のゆえ、失われたはずの古典古代の源泉的情報が中世イスラム時代の文献にも残っていますから、正統占星術的にはこの時代をも重視せざるを得ません。特にマンデンやホラリーはこの時代に発展しました。
 つまり伝統的占星術にとっての古典的作品(classical works)は、古典古代から中世イスラムの時代までの文献であることになります。10世紀になると中世イスラム占星術は衰退期に入りますから、9世紀までの文献が特に重要です。

☆ホラリーの源流域
 ホラリーの大元ネタは古典古代のドロセウスです。しかし古典古代にホラリーなる技術が確立し伝承されていたという明白な証拠はないようです。
 西洋占星術の直接的資源は中世イスラムであり、ホラリー占星術はインド占星術の影響を受けて8世紀末にバグダードあたりで成立したものと推定します。なぜここでインド占星術が登場するのかというと8世紀後半、アッバース朝アラビアンナイト華やかなりし頃、多くのインドの占星術師がバグダードを訪れたからです。
 西洋占星術の源流域である中世イスラム占星術の価値を認める、正統占星術が正統である一つの由縁です。

 

 占星術の黄金期、アッバース朝最盛期の名君ハールーン・アッラシード。中世イスラムの偉大なる占星術師の多くは、この時代に活躍したか、この時代にその雰囲気を吸って成長したか。もうこんな時代は二度と来ない?

 

 アッラシードがモデルの人物が登場する数少ない作品

 

 定番の千一夜物語岩波文庫版は13巻までありますが、どの巻がベストかは当方にはわかりません。 ただ知名度的には「アラジンと魔法のランプ」が一番かもしれません。

 

完訳 千一夜物語〈9〉 (岩波文庫)

完訳 千一夜物語〈9〉 (岩波文庫)

  • 発売日: 1988/07/07
  • メディア: 文庫